今回の記事では、鮎シーズン序盤に釣り上げられた巨大鮎についてご紹介します。
日田市で鮎漁が解禁して間もない令和2年5月28日。日田市天瀬町の鮎釣り名人である矢幡光明さんから1本の電話がありました。
矢幡さんは、鮎の友釣り歴45年の大ベテランで、全国に数多くのお弟子さんを抱えるスゴイ方。お弟子さんからの愛称は「寅さん」だそう。
電話の向こうでは、「29㎝の鮎が出たぞ!」と驚きを隠せない様子で話す矢幡さん。
私も、その言葉に耳を疑いました。通常であれば、この時期に釣れる鮎は大きくても20㎝ほどであり、30㎝近くの大物が釣れるのは、まずありえないことだからです。
場所は、豊後三大温泉のひとつ、天ヶ瀬温泉街を流れる「玖珠川」。
釣り上げたのは、矢幡さんのお弟子さんで、なんと鮎釣り歴1年のビギナーさんでした。
現地では、矢幡さんをはじめ、釣り仲間の方々が目を丸くして、巨大鮎を見つめていましたが、釣り上げた本人が何より驚いた様子でした。
釣り歴が浅くても、こんな大物を釣り上げることが出来るんですから、鮎釣りにはロマンがありますね。
さて、なぜシーズン序盤に、こんなに大きな鮎が釣れたのでしょうか?
これを明らかにするべく、釣り人さんから提供いただいた鮎を、大分県の研究機関「農林水産研究指導センター水産研究部・北部水産グループ(豊後高田市)」へ送り、検査を依頼しました。
ここには河川漁業・養殖業の頼もしい専門家がいます。
今回検査を引き受けてくださったのは、研究員の西さん。日々、内水面漁業振興のためフィールドワークに励む、若きエースです。
検査方法は、鮎の歳を調べるというもの。
今シーズンに放流した鮎がここまで大きくなることは考えにくいため、いつごろから生息している個体かを把握するため、この方法を採用しました。
魚の頭の中には、「耳石(じせき)」と呼ばれる小さな骨が左右にあり、これを顕微鏡で観察すると、木の年輪のように、幾重にも重なる輪っか模様を見ることが出来ます。これはまさに年輪と同じ原理で、魚の場合は1日ごとに耳石が外側にむかって大きくなり、この時に非常に細かい輪が1本ずつ形成されていくのです。これを「日輪(にちりん)」といいます。
つまり、この日輪が何本あるかを数えれば、鮎が何日生きてきたか(=歳)が推定できるということ。
日輪は非常に小さいので、顕微鏡でなければ観察できません。慎重に、1本1本の日輪を数えていく西さん。気の遠くなる作業を引き受けてくださり感謝です。
西さんの努力の甲斐あって、この鮎の歳は「539日」ということがわかりました。
結果、明らかに通常の鮎の寿命である1年を超えており、「越年アユ」という珍しい個体である可能性が高いという結論になりました。
さて、こちらの記事でもお話ししたとおり、鮎は通常、1年でその一生を終える魚であり、成熟後、秋に産卵のために川を下ったあと、下流域で産卵し、息絶えます。
しかし、①何らかの要因で成熟しなかったため、川を下らなかった鮎が、②寒い冬場も生き抜けるような環境下で冬を越すことができたという、ふたつの偶然が重なったとき、年を越す鮎が稀に出現するといわれています。これを「越年アユ」や「フルセ」と呼びます。
矢幡さんいわく、天ヶ瀬温泉街で越年アユが出たことは今までにないそうで、たいへん珍しいことだそうです。実際、天瀬のどのような環境がそうさせたのか断定は出来ませんが、温泉街近辺では今後も、このような個体が釣れる可能性を秘めているスポットだということがわかりました!
結果を聞いた矢幡さんも、釣り人への宣伝になると、とても喜んだ様子で話していました。
天ヶ瀬温泉街は、7月の豪雨で玖珠川の氾濫により甚大な被害を受けました。
現在、地元の方々はもちろん、たくさんのボランティアの方々のご協力もあり、着々と復旧作業が進んでいます。
またこの地で、たくさんの鮎が舞い、これを狙う釣り人、食べる観光客で賑わうことを願います。その時に再び、越年アユに出会えることを信じて、鮎の生息を見守りたいと思います。