コラムでもご紹介しましたが、日田の鮎は「水郷ひた」を代表する産品で、古くから漁獲量の多さや美味しさが全国的に知られていました。
しかし1954年に三隈川の下流部にダムが建設されて以来、三隈川に天然遡上の鮎はいなくなってしまいました。
ところで鮎がどのような一生を送っているのか皆さんはご存知ですか?
鮎は秋に川の下流、フカフカの砂地に卵を産み付けられ、約2週間でふ化します。ふ化した鮎の赤ちゃんは川の流れに乗って河口付近の海にたどり着きます。
冬でも暖かく、餌になるプランクトンも豊富な海は赤ちゃんにとってオアシスであり、力をつけるための修行の場でもあります。ここで冬をこす間、たくさんの餌を食べて、力を蓄えます。
春を迎え、7cmくらいの大きさに育った鮎は、いよいよ川の上流に向かってのぼり始めます。
いくつもの障害や天敵からの攻撃を乗り越えて川の上流にたどり着いた鮎は、夏場に藻類を食べて、たくましく育ちます。このころの鮎が、私たちがよく見る姿です。
そして秋が近づくと鮎は成熟し、川を下って産卵し、1年でその一生を終えます。そのような姿から鮎は「年魚」とも呼ばれます。
話が脱線してしまいましたが、ダムによって分断された三隈川には、有明海から鮎が遡上することができないため、天然遡上のない川になったのです。
ダムだけではなく、近年では河川環境の変化などの影響によって有明海からの遡上自体が激減していて、何も手を打たなければ三隈川に鮎が生息することはありません。
これは、なにも日田に限った話ではなく、全国の河川で同様の事例は多くみられます。
そこで立ち上がったのが漁業協同組合さん。通称「漁協(ぎょきょう)」です。
漁協は、川漁師さんたちで作る組合ですが、漁業を行う権利をもつと同時に「川の魚を増やし育てる義務」があります。
これに基づいて行われる取り組みが「鮎の放流」です。日田市内には「日田漁協」と「津江漁協」の2つの漁協があって、それぞれ、鮎の稚魚を仕入れて日田の河川に放流しているのです。
その数なんと100万尾。重さにして約9トンです。鮎は年魚なので、これを毎年繰り返すのですから、たいへんな作業です。
遡上がなくなってから60年以上、絶え間なくこの取り組みを続けているからこそ、私たちが当たり前に日田で鮎の姿を見ることができるんですね。
ふだん何気なく目にしているものや風景も、実はその裏で努力している人がいるのかもしれませんよ。